「赤松には本当に助けられた」
石井琢朗コーチ独占インタビュー
クライマックス・シリーズ出場とコーチ1年目
―― 「腹で分かる」。
石井 例えば走塁において、走者に「GO!行け!」と言ったとき。「行け」って(1塁コーチャーである)僕が指示行動を出して、その言葉に発した「行け」っていう言葉を聞いてからスタート言ったんじゃ遅い。その「行け」って言った時には選手は行ってないとその走塁は成功しないわけです。野球をやったことがある方なら、サードコーチャーを想像してもらえれば分かりやすい。サードコーチャーはホームに回そうとしているんだけど、選手は無理だと思って走っていた。回された時に初めて“え、いくのか!”では、ほとんどの場合うまくいかないですよね。この一瞬の判断で、成否が180度変わってくることが、「分かっている」んだけど、うまくいかない理由のひとつなんですね。実際、その指示行動の部分で僕も今シーズン何回も失敗した。選手たちに「あ、行くのか!」って思わせている時点でダメで、僕の責任なわけです。だから、僕が「GO! 行けよ!」と指示を出したときには選手が「そんなこと分かっています! もう行ってます!」というくらいの気持ちが合致している状態になること、これが「腹で分かる」ということなんですが、そういう意識の状態にまで持っていきたくて「当たり前のことを当たり前に」言い続けたわけです。
――自然に体が反応するような状態ですか。
石井 そうですね。
―― シーズンを振り返ってそれが浸透した手応えはありますか?
石井 いやー、まだまだ僕が勉強しなければいけない部分が多くて。さっきも言ったように失敗してチームに迷惑をかけてしまったことが多かったように思います。ただ、阪神タイガース とのクライマックス・シリーズのファーストステージ2戦目で、セカンドランナーの梵英心がレフトフライでタッチアップをしたシーンなんかは、僕のなかでの「GO!」と梵の「行ける!」という気持ちが合致した、そんな感覚はあります(9回、迎祐一郎選手のレフトフライからタッチアップで3塁へ。直後の暴投で生還する)。
―― 「腹で分かる」ように言い続けた一年だった。
石井 そうですね。だから声をかけるタイミングをちょっと変えたシーズンでした。
―― それは、どのようにでしょうか。
石井 声をかける、それは伝えるということでもあるんですが、これは本当に難しいところですね。むやみやたらに言っておけばいい、というわけでもないので……。言わなくてもいいときもあるわけですし。ただ、やっぱり選手っていうのは、どんなことでも「言葉」を求めているというか、欲していると思うんですよね。だからそういうタイミングでいかに適切な言葉を投げてあげられるか、ということは意識していました。さっきの話と少し違いますが、僕らが分かっているだろう、ということを選手が分かっていないこともありますし、選手の動きを見て、僕が忘れていた部分っていうのもあった。だから、そういう意味で勉強して、復習した一年だったのかな。
―― 適切なタイミングで言う、ということは『心の伸びしろ』で勇気づけたいと仰っていたビジネスマンにとっても悩みの種だと思います。
石井 そうなんでしょうね。僕も正解が分かるわけではないですが、ひとつ感じたことがあるとすれば、何事においても「これをやっとけ!」というような昔のようなやり方というのは、今の時代には合っていないのかな、ということですね。僕らは「とにかくたくさん走れ!」「何のために走っているんだろう?」みたいな時代に育ってきたんですけど(笑)。このやり方はやり方で、最初にも言ったとおり、のちのちにね、「あ、こういうことだったんだな」って分かる時期が来るんですけど、今はそういうやり方よりも、ある程度の成功論というか、きちんした結果を初めから見せたり、やってあげたりしたほうが伝わるのかな、と。プロセスだけを伝えるのでは、ちょっと通用しないというかね。
―― では先ほどおっしゃった変わった部分というのは、そういう言い方を変えたということでしょうか?
石井 変えたのは、今年に関しては「全員の前で、全員に言う」ようにしたことですね。個人的に必要であればふたりで話したりもしますけど、基本的なスタンスとしては「個人の話でもみんなの前で話す」。なかには、名指しでみんなの前で指摘されて嫌な思いをした選手もいると思うんですけど、僕としてはミスという学ぶべき材料を、個人のものとして終わらせたくなかったんです。ミスをした個人は、それはもちろん反省するでしょう。でも、それをみんなで考えたい、教材にしたいという思いがあったので、あえてみんなの前で言うようにしたということです。この方法が正しい伝え方、言い方というわけではなくて、今年に関してはそういうアプローチがいいかな、と。